====== 流山100ヶ所/西栄寺 ====== 山号 桐谷山\\ 本尊 阿弥陀如来\\ 宗派 真言宗豊山派\\ {{流山100ヶ所:西栄寺:d7626226d08fcf666bda5e8865511cd7.png}} [[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%A0%84%E5%AF%BA_(%E6%B5%81%E5%B1%B1%E5%B8%82)|Wikipediaによる西栄寺 (流山市)]]は、文明12年(1484)開山の「西福寺」と永正12年(1515)開山の「西円寺」と合併、550m離れた「[[流山100ヶ所:西栄寺#h86f8909|浄栄寺]]」は西栄寺に管理下であるとのことです。 {{流山100ヶ所:西栄寺:a34c692ba1586aec6c170a63cb566eff.png}} 流山100ヶ所の1つ、(51)西栄寺、旧35番です。 江戸時代、御朱印寺の真言宗の寺院。山号は桐谷山。本尊は無量寿如来 御前立像は不動明王。境内には琵琶山観音堂(4月18日開帳)、流山七福神の福禄寿像などがある。 とあります。\\ ○本尊の阿弥陀如来は旧「西円寺」の本尊で天正12年(1584)以前に桐材で作られています([[https://www.city.nagareyama.chiba.jp/tourism/1013087/1013107/1013128.html|流山市指定有形文化財8号]])。\\ ○琵琶山観音堂の琵琶首観音は天文8年(1539)の作とされ、以前は[[江戸川八十八ヶ所:17|下花輪の旧西福寺観音堂]]に祀られていたそうで「朝寝坊観音」とも呼ばれます([[https://www.city.nagareyama.chiba.jp/tourism/1013087/1013107/1013129.html|流山市指定有形文化財7号]])。\\ ○絹本著色釈迦十六善神像付外箱及び版本大般若経も[[https://www.city.nagareyama.chiba.jp/tourism/1013087/1013107/1013114.html|流山市指定有形文化財26号]]として保管されています。\\ ○[[江戸川八十八ヶ所:22|江戸川八十八ヶ所の第22番札所]]の大師も御座します。\\ 所在地:[[https://maps.google.co.jp/maps?q=35.876787,139.906774|千葉県流山市桐ケ谷230]]\\ 緯度,経度(10進数)[N,E]: 35.876787,139.906774\\ ====== 浄栄寺 跡 ====== 所在地:[[https://maps.google.co.jp/maps?q=35.879951,139.902041|千葉県流山市桐ケ谷]]\\ 緯度,経度(10進数)[N,E]: 35.879951,139.902041\\ {{流山100ヶ所:西栄寺:2b4c07b8743220ef4800b7e8fedc160a.png}} 参拝時、観音堂と手児奈大明神が祀られていました。この[[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E5%85%90%E5%A5%88|手児奈]]様の御分霊なのかもしれませんが、伝説のもの悲しさ想いは伝わりますか。本堂(庫裏だと思って写真に収めてこなかったのですが)と(本堂に向かって)左手に観音堂、右手に[[江戸川八十八ヶ所:30|大師堂]]に囲まれます。見守られてきたのかもしれませんね。 {{流山100ヶ所:西栄寺:160deaa11319383179782ac02e0b12dd.png}} [[江戸川八十八ヶ所:30|「三○ 貝塚」の浄栄寺]]は空水師の[[江戸川八十八ヶ所:道順略図|略図]]では「[[江戸川八十八ヶ所:22|二二 桐ヶ谷西円寺]]」から流山街道を渡って北西に550m程離れて、常磐自動車道の北側の脇道沿い、また流山インターチェンジから東に300m離れた間の場所です。\\ 昭和九年の時点で既に「[[江戸川八十八ヶ所:22|二二 桐ヶ谷西円寺]]」の位置関係から道を通したりしていますので推移があったのだろうと思います。