江戸時代にはいって盛んに作られたと言われる四国八十八カ所うつし霊場(新四国八十八カ所)は全国各地にありますが、利根川と江戸川を結ぶ「利根運河」を中心とした八十八カ所霊場、ガイドブックを参考にすると、明治23年から通船営業開始した利根運河会社の支配人:森田繁男氏の呼びかけで流域住人と立ち上げた霊場写しだったそうです。大正2年からと比較的新しいものの、昭和16年の台風で利根運河の国有化により荒廃、昭和61年、有志によって柏・野田・流山に復元されて平成8年再建、現在に至るようです。参考: 流山市環境協会/利根運河大師
令和2年6月(7月中旬の再確認等含む)現在で確認している札所とその位置になります
利根運河大師霊場も四国八十八ヶ所の写しで88ヶ所だが、番外89番まであるのは「申し込みが遅れたため」ということになっている。八十九番の御詠歌は、
葛飾(かつしか)の 八十九(やそく)の大師(だいし) 拝(おが)み来(き)て 幸(こう)の福(ふく)にと恵(めぐ)みぞ深井(ふかゐ)
創建者の森田繁男氏が詠んだものとされている。
利根運河大師堂に並ぶ記念碑に運河大師八十八ヶ所の再建までの変革が読める ;
運河大師八十八ヶ所再建記念碑 明治二十三年 利根運河株式会社が開通させた利 根川と江戸川を結ぶ八・五キロの関東水運の大動脈 となった利根運河に 大正二年 流域の住民がそれ ぞれ弘法大師像を安置した札所を建て 運河橋の際 に教会堂を建立して 新四国八十八ケ所運河霊場を 創建 多くの巡礼が訪れる名所になりました 昭和 十六年の大水害で 水堰が破壊され 各所で堤防が 決壊 堤防の拡幅 かさ上げの大改修工事で 堤防 上にあった札所は立ち退かされて散り散りになり、 運河霊場は一時、歴史から姿を消されようとしてい ました 昭和六十一年 柏 野田 流山の三市の有 志により 利根運河霊場再建発起人会が結成され 行方不明になっていた札所の探索を始め 平成二年 には利根運河霊場再建実行委員会を設立 市野谷の 円東寺に移されていた十七体の大師像を再び運河畔 にお迎えする大師堂を建立し 本日落慶法要を執り 行いました これで新四国八十八ケ所運河霊場は創 建当初に近い形に復元されたのです 平成八年四月二十一日 利根運河霊場再建実行委員会 会長 秋元大吉郎筆 |
Google MapローカルガイドをやりながらGoogle Mapへマーカーを登録していきましたがローカルガイドのコミュニティやGoogle Mapの特定区域だけを扱うものではない特質上か数メーターの近距離にマーカーを置くのは厳しかったため、比較的柔軟に幾つかをまとめてマーカーを配置したりしています(公共性を考えると特定の目的の為に必要以上のデータや、距離が近く名称が酷似ていたりするデータを配置する事への抵抗もありますし、承認のおりないケースは多々散見、ある程度折合をつけたマーカー(データ)をつけた事もある)。可能なものは衛星写真から修正したりもしていますが、上記のような多少の制限もあるため、別途にマイマップを作っていますので公開しておきます。同じ堂宇に奉納されているケースを除いて、堂宇がちょっとした距離でも離れていれば別マーカーにしてあります。そのため細かすぎる点ご了承ください。
個人宅に大師堂(祠)が設置されていることがあり、お参りの際は一声おかけして参拝することが必要。
インターネットの性質を考えて、お名前(苗字、姓名、など)を記載する場合は住所は併記しないことにしている。リンク先にgoogle mapの住所を参考にして欲しいところです。
WIKI内の掲載の写真は、私がgoogle mapのローカルガイドでアップロードしたものが多数あり同一のものを加工した画像が載っている場合があります。
御朱印の代わりにスタンプがあるようだが不明(公式な霊場巡り日(毎年4月21日、10月21日)以外ではご迷惑だと思いお聞きは一切していない)。
現状、正式な問い合わせ先はインターネット上ではない(不明だが利根運河交流館が無難だろうか)と思われます。
まだまだ全データを修正するまで時間が掛かりそうですが一応公開とします(2020/7/26時点)。私が流山に引っ越してきて暫く、最初の大師堂を見つけたのは何年か前です。惹かれるかのように歩いて行ったそこに札所75番です。四国霊場では「五岳山 誕生院 善通寺」ですね。
御詠歌、 我すまば よもきゑはてじ 善通寺 ふかきちかいの 法のともしび
最初は利根運河+八十八ヶ所+大師霊場で調べたりもしましたが、「大師堂があるのか~」「なぜこんな一カ所に集まっているのだろう」とも。当時のgoogleマップでは一部の札所のデータが追加されており、また調べると「南流山通信」に運河大師八十八ヶ所案内図が上がっているのを見つけていました。何となく運河沿岸の大師堂を巡ってみて、一応私も得度した行者なりに清らかで真っ直ぐな想いが伝わっていた・・・創設時から続く皆さんの「土地」と「弘法大師」への想いの強さと真っ直ぐな想いを・・・本職のお坊さんではない、しもりの方々のご供養はおそらく皆さんそれぞれで心だけのしっかりこもった供養で大師様の喜んでいるかのように感じ、皆様の想いが真っ直ぐな想いであることから、しっかり直視しようと巡り始めたのでした。他に比べて「利根運河大師霊場は、きれいな形で残っている・・・残したい」という思いでWikiを作り始めました。折角なので他の寺社など面白い施設建造物なども載せるつもりですが、メインコンテンツとして利根運河大師霊場をまとめたいと思います。
南無大師遍照金剛
令和二年七月吉日
拝 ZeR0