こちらは札所として機能していないようです。
参考:「新四国相馬霊場八十八ヶ所を巡る会」Google の ホームページ:新四国江戸川霊場八十八ヶ所巡りより
江戸川霊場の歴史は古く、江戸時代の文政元年五月鰭ヶ崎東福寺となっており、当初は大師霊場二十一ヶ所で開創されました。 六年後の文政六年、下総国最大の四郡大師霊場(千葉、印西、相馬、葛飾の各郡)の分裂と同じ頃に、江戸川八十八ヶ所となっています。 江戸川霊場は、流山市鰭ヶ崎の東福寺が主導寺となり、松戸市、柏市、埼玉県三郷市にまたがって点在しています。 現状は、欠け札所や移転があり、廃寺跡地、無住寺社堂などが増えてしまい、御朱印を揃えることは出来ません。 私たちは、江戸川で栄えたのどかな風景を楽しみながら、民間が守ってきた霊場の姿にふれたいと思います。
空水師の略図では「二四 円満寺」とあり、「二八 豊四季観音堂」と「二六 取込」の間に位置していることになっています。
所在地:千葉県柏市豊四季153−4
緯度,経度(10進数)[N,E]: 35.868404,139.938740
場所を推測すると柏市豊四季の「小金山円満寺」(庭園のとても綺麗なお寺さん)と思っていたのですが、
柏市豊町にも「小金山円満寺 中原分院」があります。
江戸川八十八ヶ所の第二十四番としては機能はしていない(跡も発見できませんでした)と思います。が、
豊四季の飛び地に挟まれた豊町に准四国八十八ヶ所東葛印旛大師巡拝(送り大師)として大師堂(六十三番、八十九番)がおかれています。
追記:googleのマイマップを急いでまとめていたモノだから誤解が生じてしまう記載をしてしまっていました。php8.1更新した際手の届く時に修正しておきました。
付け加えておきますが、手がかりが存在していないことから第二十四番と言うことだと断定ではないので、誤解のないようにしたいところなのですが、
柏市豊四季は飛び地もあり、この分院のある「豊町」を挟んで「新木戸」付近(柏ヤングボールの東側一帯)は豊四季だったりします。
「明治5年3月より印西大師に倣い送り大師をはじめる」とあるようなので、深い関係性はある影響を与えたところの一つである事は間違えないです。
ちなみにこちらの准四国八十八ヶ所東葛印旛大師巡拝(送り大師)は今後回ってみたいところで記載しています。(令4年12月追記)
→准四国八十八ヶ所東葛印旛大師巡拝(送り大師)
→印西大師
所在地:千葉県柏市豊町2丁目5-39 小金山円満寺中原分院 内
緯度,経度(10進数)[N,E]: 35.851057,139.960567
准四国八十八ヶ所東葛印旛大師巡拝(送り大師)として大師堂(六十三番、八十九番)がおかれています。