江戸川八十八ヶ所
概要
江戸川八十八ヶ所霊場は、鰭ヶ崎東福寺住職が中心となり、 四国遍路の八十八ヶ所に倣った「送り大師」や、真言講や念仏講など「講」により、札所の再編を伴いながら続けられていたとのこと。 皆さんの話を統合すると、以下のような遍歴となる。
文化4年(1807) | 下総四郡札所。→https://tesshow.jp/chiba/shimofsa4_88.html | |
文化15年(1818) | 流山二十一所 | |
文政元年(1818) | 5月 | 江戸川二十一所大師霊場として開創 |
文政6年(1823) | 四分割に伴い合併し旧札所、八十八ヶ所霊場として整備 | |
明治5年(1872) | 3月 | 印西大師に倣い送り大師をはじめる。 |
昭和9年(1934) | 11月 | 弘法大師1100年遠忌を記念して、東福寺慈恭空水が整理再興 |
※文化15年(1818)5月に改元して文政元年となっており、「流山二十一所」と「江戸川二十一所」は同じものなのか別のものなのか判断できなかったため併記した。
守龍山東福寺を中心に流山市~松戸市、江戸川を挟んで三郷市に跨ぐ八十八ヶ所大師巡りで公式な御朱印などは把握していないが。また、残念だが既に幾つか欠番があります。昭和の再復興時の情報は「25番札所三日月神社」に残された資料として額に入れて飾ってあった江戸川八十八ヶ所/霊場巡拝道順略図に写真を残しておきますので旅のお供にでも役立てていただければと思います。
私のきっかけは、以前よく通りかかった36番札所 南.不動堂と平方観音の大師堂でした。平方観音の大師像の番号と欠番などからも、現時点での結論として一致しなかったため本ページで載せていません。が、流山市の案内板を信頼するならばどこかに関係性があったことは疑いないのでしょうが。
<注意>江戸川八十八ヶ所については既に欠番もあり、恐らく関係者の皆様が紡いできてくださっている今の状態を一人の個人の目線で伝えることを目的としています。提供できるのは機器が100パーセント確証をもって動作すると仮定してGPSによる場所の特定だけです。欠番やそもそも新規整備されたものでないところもあるようで、探索や会話などトライアンドエラーをして試行中の状態のママです。専門家でもないので歴史考証は二の次の後回しとしておりますのでご注意を。
参考:「新四国相馬霊場八十八ヶ所を巡る会」Google の ホームページ:新四国江戸川霊場八十八ヶ所巡りより
江戸川霊場の歴史は古く、江戸時代の文政元年五月鰭ヶ崎東福寺となっており、当初は大師霊場二十一ヶ所で開創されました。 六年後の文政六年、下総国最大の四郡大師霊場(千葉、印西、相馬、葛飾の各郡)の分裂と同じ頃に、江戸川八十八ヶ所となっています。 江戸川霊場は、流山市鰭ヶ崎の東福寺が主導寺となり、松戸市、柏市、埼玉県三郷市にまたがって点在しています。 現状は、欠け札所や移転があり、廃寺跡地、無住寺社堂などが増えてしまい、御朱印を揃えることは出来ません。 私たちは、江戸川で栄えたのどかな風景を楽しみながら、民間が守ってきた霊場の姿にふれたいと思います。
現状残してくださっている好意に甘えさせていただき、私個人も、のんびりまわるのがよいと思いました。現状保存の一助になればと思います。
参考文献・資料
- 新四国江戸川霊場八十八ヶ所巡り : 「新四国相馬霊場八十八ヶ所を巡る会」さんのサブページより
勝手にリンクさせていただきますが個人のブログさん
札所一覧
令和3年4月~10月現在で確認している札所とその位置になります
- 1番札所 東福寺
- 2番札所 幸田 華厳寺
- 3番札所 篁大師堂
- 4番札所 北.無苦尼(無群堂)
- 5番札所 幸田 華厳寺
- 6番札所 横堀
7番札所 浄円坊(現光照寺)- 8番札所 大畔
- 9番札所 大谷口 東光院
- 10番札所 大谷口 大勝院
11番札所 出世大師- 12番札所 真成院
- 13番札所 大谷口新田
- 14番札所 正覚寺
- 15番札所 正覚寺
- 16番札所 芝崎
- 17番札所 西福寺
- 18番札所 八ヶ崎長聖寺
- 19番札所 庄内
- 20番札所 大膳
- 21番札所 五本松
- 22番札所 桐ヶ谷西円寺
- 23番札所 思井桜山
- 24番札所 正満寺
- 25番札所 三日月 三日月神社
- 26番札所 取込
- 27番札所 光照寺
- 28番札所 豊四季観音堂
- 29番札所 桜大門穴大師
- 30番札所 貝塚
- 31番札所 初石
- 32番札所 犬塚
- 33番札所 幸谷観音
- 34番札所 南寮
- 35番札所 名都借 清滝院
- 36番札所 南.不動堂
- 37番札所 北.薬師原
- 38番札所 横須賀 正福寺
- 39番札所 谷中
40番札所 吉岡大師- 41番札所 新宿 金比羅
- 42番札所 春山寺
- 43番札所 稲荷社
- 44番札所 鰭ヶ崎 六社権現
- 45番札所 幸谷観音
- 46番札所 ゑんま堂
- 47番札所 市野谷 円東寺
- 48番札所 野々下
- 49番札所 長崎 金乗院
- 50番札所 槇大師
51番札所 小島大師、大島大師- 52番札所 富士見公園
- 53番札所 九郎左衛門新田 金藏院
- 54番札所 前ヶ崎 宝蔵院
- 55番札所 大塚大師(染谷大師)
- 56番札所 前ヶ崎 宝蔵院
- 57番札所 小金東漸寺
- 58番札所 小金東漸寺
- 59番札所 一月寺(東漸寺)
- 60番札所 花輪観音
- 61番札所 思井
- 62番札所 西平井焼原
- 63番札所 古間木
- 64番札所 木村観音寺
- 65番札所 前平井
- 66番札所 ゑんま堂
67番札所 加村海岸 千歳堂- 68番札所 幸房
- 69番札所 市野谷 円東寺
- 70番札所 芝崎
- 71番札所 主水稲荷社
- 72番札所 中村 長福寺
- 73番札所 八ヶ崎長聖寺
- 74番札所 横須賀 正福寺
- 75番札所 七右衛門新田
- 76番札所 金杉醫王寺
- 77番札所 光明院
- 78番札所 大畔新田
- 79番札所 二ツ木 光明寺
- 80番札所 二ツ木 常光院
- 81番札所 二ツ木 庚申塔
- 82番札所 八ヶ崎長聖寺
- 83番札所 九郎左衛門新田 金藏院
- 84番札所 木村観音寺
- 85番札所 茂田井
- 86番札所 丹後 光福院
- 87番札所 流山寺
全体地図
Google MapローカルガイドをやりながらGoogle Mapへマーカーを登録していきましたがローカルガイドのコミュニティやGoogle Mapの特定区域だけを扱うものではない特質上か数メーターの近距離にマーカーを置くのは厳しかったため、比較的柔軟に幾つかをまとめてマーカーを配置したりしています(公共性を考えると特定の目的の為に必要以上のデータや、距離が近く名称が酷似ていたりするデータを配置する事への抵抗もありますし、承認のおりないケースは多々散見、ある程度折合をつけたマーカー(データ)をつけた事もある)。可能なものは衛星写真から修正したりもしていますが、上記のような多少の制限もあるため、別途にマイマップを作っていますので公開しておきます。同じ堂宇に奉納されているケースを除いて、堂宇がちょっとした距離でも離れていれば別マーカーにしてあります。そのため細かすぎる点ご了承ください。
昭和の再復興時の情報は江戸川八十八ヶ所/霊場巡拝道順略図に写真を残しておきますので旅のお供にでも役立てていただければと思います。
補足
7番、11番、40番札、44番札所、51番、67番は場所を特定確認できませんでした。
猫の足あとさんの情報から、光照寺さんに浄円坊あるとして、残り、雷神社、小島(大島)大師が東福寺の大師堂にあるとすると、大師の数があいます(元々五尊+二尊)。
改めて調べてみると「新四国相馬霊場八十八ヶ所を巡る会」Google の ホームページ»新四国江戸川霊場八十八ヶ所巡りさんの情報から、他のブログさんなどの情報とも合致し、第1番、21番、29番、44番、51番、88番、89番が東福寺さんということになります。以上まとめると以下:
- 7番札所 浄円坊 → 現在の「光照寺」
- 44番札所 雷神社 → 現在の「東福寺」
- 51番札所 小島大師 → 現在の「東福寺」
- 11番札所 出世大師
- 40番札所 吉岡大師
- 67番札所 加村海岸
以上、残念ながら3ヶ所は所在不明です。
他に、
- 24番札所 正満寺 大師堂・札所はない
豊四季というのは飛び地があり豊町というのは豊四季に囲まれたところで、その柏市豊町にも「小金山円満寺 中原分院」があります。
以上のことから「江戸川八十八ヶ所の第二十四番としては機能はしていない(跡も発見できませんでした)」と思います。
略図にこだわれば、「24番札所 正満寺」は分院ではないでしょうが、その辺りは私の方では確証は持っていません。
が、豊四季の飛び地に挟まれた豊町に准四国八十八ヶ所東葛印旛大師巡拝(送り大師)として大師堂(六十三番、八十九番)がおかれています。
希少な画像ありがとうございました。
こんなご時世で、こんなにも残っていること、素晴らしいと感じました。
むすび
南無大師遍照金剛
令和三年十月吉日
拝 ZeR0