User Tools

Site Tools


数字由来の地名

数字由来の地名

元々、幕府直轄の小金牧という牧場が広がっていたのが柏市などを含む東葛地区というより北総台地の牧跡地だったようです。柏に勤めてわかったことを簡単にまとめると、明治時代(明治2年)より三井財閥系による開墾で「十あまり」の土地で「十余」や「豊」の字が使われた土地名ができたそうです。(関東農政局>4. 明治の混乱と牧の開拓【「農」と歴史】

江戸時代からの新田開発でそれ以外に残った土地は条件の悪い土地で「牧」になった可能性もあったようで困難だったことは想像に苦しくないかもしれません。(関東農政局>3. 江戸時代の牧と新田村【「農」と歴史】

国策で国道16号も通ったときも実際に工場毎引っ越されてきた方曰く『柏消防署周辺は湿地帯で水を引かせるのに苦労した。だから今でもあそこは冠水するんだよ』とお詳しかったです(実際に大雨時には冠水することが多いです)。

地名に関しては、柏に詳しい方によりますと、『豊四季周辺は最初に豊四季が出来上がり後から豊町や豊上町など独立していった』から飛び地の多い土地になっているようでした。 十余二も結構広かったそうですが、同様にどんどん独立していったそうで、今のように飛び地の多い土地になっているのは同様のことと考えられます。 つまり、素人目にですが、住人の有無ではなく 豊四季や十余二を含め何もなかった牧に『町名』と出現したのが、少なくとも明治時代と推測出来るのではないかと考えます。時代考証するのであるならばそれより前は文献でもない限り町の存在の有無はバッサリ切り捨てられると言うことになりそうですね。この辺りは門外漢なので専門家に任せます。

いずれにしても明治の開墾に始まっただけで終わった開発ではなく何度もその上から開発していったというのが正しいのではないかと勝手に考察します。

その明治の開墾にたどれる事になりそうな地名をまとめると以下です

最初「初富(はつとみ)」…千葉県鎌ケ谷市初富

2番目「二和(ふたわ)」…千葉県船橋市二和東千葉県船橋市二和西

3番目「三咲(みさき)」…千葉県船橋市三咲

4番目「豊四季(とよしき)」千葉県柏市豊四季

5番目「五香(ごこう)」…千葉県松戸市五香

6番目「六実(むつみ)」…千葉県松戸市六実

7番目「七栄(ななえ)」…千葉県富里市七栄

8番目「八街(やちまた)」…千葉県八街市

9番目「九美上(くみあげ)」…千葉県香取市九美上

10番目「十倉(とくら)」…千葉県富里市十倉

11番目「十余一(とよいち)」…千葉県白井市十余一

12番目「十余ニ(とよふた)」…千葉県柏市十余二

最後に「十余三(とよみ)」…千葉県成田市十余三

となっているようです。

参考: 関東農政局>北総中央農業水利事業所

関東農政局>3. 江戸時代の牧と新田村【「農」と歴史】

関東農政局>4. 明治の混乱と牧の開拓【「農」と歴史】

開墾記念碑でもあるのかな~?あるならばいってみてもいい気がします

数字由来の地名.txt · Last modified: 2024/02/17 11:37 by 127.0.0.1