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松ケ丘一号型街路灯

松ケ丘一号型街路灯

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登録有形文化財(12-0226号)<文化庁>より

昭和三〇年代に開発された住宅地に、防犯等のため要所に設置された街路灯。コンクリート製、高さ四・四メートルで、フルーティングを設けるなど様式建築の柱を模し、頂部に円形電灯を置く。地域の歴史を今に伝えるのみならず、意匠的にも特徴ある街路灯。

所在地:千葉県流山市松ケ丘2丁目330−85
緯度,経度(10進数)[N,E]: 35.847632,139.950024

案内板より

この街灯は昭和三十三年東葛郡流山町大字向小金新田宇丹後(昭和三十六年より松ヶ丘と改名)本格的街路灯として初めて設置されたものです。
当寺は現在とは違い、街も暗く道路も舗装が整備されておらず、また深い松林に覆われ治安も悪く、夜の街の人々の足下は大変危険でした。
そこで当寺の街の組合の方々(現在の自治会)が、人々の安全を守る為、この街灯を設置しました。
時代は流れ、技術の進歩により次第に街灯も新しく明るいものへと取り換えられて行きました。
大正から昭和にかけて流行ったモダンなデザインも大変魅了されるものです。
松ヶ丘の歴史遺構として後の時代に伝えるため、ここに保存するものであります。平成二十五年一月 松ヶ丘自治会
松ヶ丘の住宅団地は昭和三十一(一九五六)年から第一期の入居募集が開始された。開発当初、住宅地の周辺は森に囲まれており、現在のような街路灯もなかった。このため自治会の前身である組合が、団地内の防犯対策として設置したのが一号型街路灯である。昭和三十一、二年頃に計二十基以上が設置されていたが、電柱の防犯灯が設置されるようになると、次第にその存在は忘れられてしまった。
街路灯はコンクリート製で高さ四・四m、西洋風建築の柱を模しており、頂部に球形電灯がある。柱には、製造会社銘名の鉄製の蓋があり、それを上げると電球のスイッチがある。
設置から五十年以上の歳月がたち、現在八基を確認できるが、当寺の形状が完全な形で残っているのは平成二十五年に陽廣院に移設された一基のみである。昭和三十年度以降、流山市内では各所で住宅団地開発が行われてきたが、その中で開発当初造られたものは、ほとんど残っていない。松ケ丘一号型街路灯は貴重な構築物として後世に伝えていきたい文化財である 平成三十年三月 流山市教育委員会

清龍山陽廣院

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案内板より

清龍山陽廣院(せいりゅうざんようこういん)
開基は正保年間、前田家四代当主、前田光高公の菩提を弔う為、京都前田家により京都淀町に建立されました。
幕末期には和宮江戸輿入れに伴い、江戸深川徳衛門町(現在の江東区)に移りましたが、その後関東大震災により、寺院は焼失してしまいました。
その後塔頭であった芝白金三光町(現在の港区白金三丁目)の吉祥院と統合いたしましたが、太平洋戦争により二度焼失してしまい、戦後の土地高騰等により、長い間復興されませんでしたが平成になり当地に移設されました。
本尊は幾度かの震災や戦火を免れた室町時代の阿弥陀三尊像や地蔵菩薩半跏坐像、薬師如来像、他に鎌倉時代の不動明王像等、数多くの仏像が安置されています。
また当寺、皇室とのつながりも深かった為、仁孝天皇、光格天皇、明治天皇、昭憲皇太后、歴代天皇の御尊牌がお祀りされております。その他にも、江戸幕府開祖である東照大権現(徳川家康公)陽廣院殿(前田光高公)圓満院裕常門主(第三十七世圓満院門主)の位牌がお祀りされています。

所在地:千葉県流山市松ケ丘2丁目330−93
緯度,経度(10進数)[N,E]: 35.847641,139.950354

松ケ丘一号型街路灯.txt · Last modified: 2021/10/26 12:20 by 127.0.0.1